目次

無量義経 十功徳品第三 

【 訓 読 】
【ページ19】
とき大荘厳菩薩摩訶薩だいしょうごんぼさつまかさつ復佛またほとけもう して もう さく、 世尊せそん世尊是せそんそ微妙甚深無上大乗無量義経みみょうじんじんむじょうだいじょうむりょうぐきょう きたもう。 真実甚深甚深甚深しんじつじんじんじんじんじんじん なり。 所以ゆえはいか ん、 しゅうなかおいて いて、 もろもろ菩薩摩訶薩及ぼさつまかさつおもろもろ四衆ししゅてんりゅう鬼神きじん国王こくおう臣民しんみん諸有しょう衆生しゅじょう甚深無上大乗無量義経じんじんむじょうだいじょうむりょうぎ いて、 陀羅尼門だらにもん三法さんぽう四果しか菩提ぼだいこころ獲得ぎゃくとく せざることなし。 まさ るべし、 ほう文理真正もんりしんしょう なり、 そん にして 過上かじょう なし。 三世さんぜ諸佛しょぶつ守護しゅご したもう ところ なり。 衆魔群道しゅまぐんどう得入とくにゅう することあることなし。 一切いっさい邪見生死じゃけんしょうじ壊敗えはい せられず。 所以ゆえはいか ん、 ひと たび けば
【 現 代 語 訳 】

【ページ19】
そのときに大荘厳菩薩摩訶薩はまた、仏に向かって言った。 世尊、世尊は一言では言い表せないほど細かく複雑で非常に深くこの上なく衆生救済を重んじる無量義経をお説きになりました。 それは真に深く深く非常に深い教えでした。 理由は何故かというと、この衆の中において、諸々の悟りを求める修行者と偉大な大衆および諸々の出家者と在家者の男女、天の神々、龍、鬼神、国王、臣民、あらゆるもの皆、衆生は この上なく衆生救済を重んじる無量義経を聞いて、記憶力、知力、念力を得る方法手段、諸行無常、諸法無我、涅槃寂静の三法、須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果の四果、 悟りを求めようとする心を獲得しない者はいなかったのです。 当然、知るべきである。この教えは文章の筋道は真に正しく敬うべきであってこの上ないのです。 過去現在未来における諸々の仏が守護なさるのです。 邪道に誘い込む悪魔や諸々の邪道は入り込むことはないのです。 全ての因果の道理を無視する誤った考え方や生まれては死に死んでは生まれる苦しみに秩序がこわれることはないのです。 理由はなぜかといえば、一度でも聞けば
【ページ20】
一切いっさいほうたも つが ゆえ に。 衆生しゅじょう あって きょう くことを るは、 すなわ大利だいり なり。 所以ゆえはいか ん、 修行しゅぎょう すれば かならとく無上菩提むじょうぼだいじょう ずることを ればなり。 衆生しゅじょう あって くことを ざる もの は、 まさ るべし、 是等これら大利だいりうしな えるなり。 無量無辺不可思議阿僧祇劫むりょうむへんふかしぎあそうぎこう ぐれども、 つい無上菩提むじょうぼだいじょう ずることを ず。 所以ゆえはいか ん、 菩提ぼだい大直道だいじきどう らざるが ゆえ に、 険径けんきょう くに 留難多るなんおお きが ゆえ に。 世尊せそん経典きょうでん不可思議ふかしぎ なり。 唯願ただなが わくは 世尊せそんひろ大衆だいしゅ慈哀じあい して きょう甚深不思議じんじんふしぎ敷演ふえん したまえ。 世尊せそん経典きょうでんいず れの ところ よりか きた り、 って いず れの ところ にか いた り、 とどま って いず れの ところ にか じゅう する。 すなわかくごと無量むりょう功徳不思議くどくふしぎちから あって、 しゅう をして とく阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいじょう ぜしめたもうや。 とき世尊せそん大荘厳菩薩摩訶薩だいしょうごんぼさつまかさつ げて のたま わく、 善哉善哉ぜんざいぜんざい善男子ぜんなんしかくごとかくごと し、 なんじところごと し。 善男子ぜんなんし我是われこきょう くこと 甚深甚深真実甚深じんじんじんじんしんじつじんじん なり。
【ページ20】
巧みに全ての教えをを授かるからです。 もし生命のあるもの全てがこの法を聞く機会を得たならば、それは大きな御利益を受けるのです。 理由は何故かというと、もしよく修行すれば必ずすぐに最上の完全な悟りを成就することができるからです。 そこに衆生がいてもしこの経を聞くことができない者は、当然、知るべきである、これらは大きなご利益を失うということを。 無限の時間数限りない計り知れない時を経過しても、ついに最上の完全な悟りを開くことはないのです。 理由は何故かというと、悟りへの一番の近道を知らないからです、険しい道を行くには困難が多いためです。 世尊、この経典は人間の認識や理解の限界を超えています。 ただ願わくは世尊、広く大衆のために慈悲と哀れみを持ってこの経の非常に深く理解ができないことを意味や趣旨をおし広げて説明してください。 世尊、この経典はどこから来て、どこへ去り、どこへ至り、どこへ留まるのでしょうか。 すなわちこのようなはかることができないほど多くの現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行や通念では理解できない力があって、人々を早く悟りへ導くのでしょうか。 そのときに世尊は、大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言われた、素晴らしい、素晴らしい、仏法に帰依した男子よ、そのとおりそのとおり、おまえが説くとおりです。 仏法に帰依した男子よ、仏法に帰依した男子よ、私がこの経で説くことはこの上もなく非常に深く真実なのです。
【ページ21】
所以ゆえはいか ん、 しゅう をして とく無上菩提むじょうぼだいじょう ぜしむるが ゆえ に、 ひと たび けば 一切いっさいほうたも つが ゆえ に、 もろもろ衆生しゅじょうおいておおい利益りやく するが ゆえ に、 大直道だいじきどうぎょう じて 留難るなん なきが ゆえ に。 善男子ぜんなんしなんじきょういず れの ところ よりか きた り、 って いず れの ところ にか いた り、 とどま って いず れの ところ にか じゅう すると わば、 まさあきら かに くべし。 善男子ぜんなんしきょう本諸佛もとしょぶつ室宅しったくうち より きた り、 って 一切衆生いっさいしゅじょう発菩提心ぼだいしんいた り、 もろもろ菩薩所行ぼさつしょぎょうところじゅう す。 善男子ぜんなんしきょう は、 かくごときた り、 かくごと り、 かくごとじゅう したまえり。 ゆえ に、 きょう は、 かくごと無量むりょう功徳不思議くどくふしぎちから あって、 しゅ をして とく無上菩提むじょうぼだいじょう ぜしむ。 善男子ぜんなんしなんじむしきょう復十またじゅう不思議ふしぎ功徳力くどくりき あるを かんと ほっ するや いな や。 大荘厳菩薩だいしょうごんぼさつもう さく、 ねが わくは きたてまつらんと ほっ す。 ほとけのたま わく、 善男子ぜんなんし第一だいいち に、 きょう菩薩ぼさついま発心ほっしん せざる もの をして 菩提心ぼだいしんおこ さしめ、 慈仁じにん なき もの には 慈心じしんおこ さしめ、 殺戮せつりくこのもの には 大悲だいひこころおこ さしめ、
【ページ21】
理由は何故かというと、人々に最上の完全な悟りを成就させるために、一度でも聞けば巧みに全ての教えを理解するために、諸々の生命のあるもの全てに大きなご利益を与えるために、 悟りへの近道を進ませて苦難をさせない理由のためです。 仏法に帰依した男子よ、おまえがこの経典はどこから来て、どこへ去り、どこへ続いていくのかと問うならば、当然よく聞くべきである。 仏法に帰依した男子よ、この経は諸々の仏の心のなかより来て、全ての生命のあるものの悟りの心へ去り、諸々の悟りを求める修行者の行いの中にあり続けるのです。 仏法に帰依した男子よ、この経はこのように来て、このように去り、このように存在し続けるのです。 このために、この経はこのような計り知れない現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いと通念では理解できない力があり、人々を最上の完全な悟りへと導くのです。 仏法に帰依した男子よ、この経にはまた十の不思議な現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いの力があるのを聞きたくはないか。 大荘厳菩薩は言われた、願わくはお聞かせください。 仏は言われた、仏法に帰依した男子よ、第一にこの経は巧みに未だ仏教に帰依しようという心を起こしていない悟りを求める修行者に菩提心を起こさせ、 情け深さがない者には情けの心を起こし、むごたらしく多くの人を殺すことを好む者には苦しみを救う仏の心を起こさせ、
【ページ22】
嫉妬しっとしょう ずる もの には 随喜ずいきこころおこ さしめ、 愛著あいじゃく ある もの には 能捨のうしゃこころおこ さしめ、 もろもろ慳貪けんどんもの には 布施ふせこころおこ さしめ、 憍慢きょうまん おおもの には 持戒じかいこころおこ さしめ、 瞋恚盛しんにさかん んなる もの には 忍辱にんにくこころおこ さしめ、 懈怠けだいしょう ずる もの には 精進しょうじんこころおこ さしめ、 もろもろ散乱さんらんもの には 禅定ぜんじょうこころおこ さしめ、 愚癡多ぐちおおもの には 智慧ちえこころおこ さしめ、 いまかれ すること あた わざる もの には、 かれ する こころおこ さしめ、 十悪じゅうあくぎょう ずる もの には、 十善じゅうぜんこころおこ さしめ、 有為ういねがうもの には 無為むいこころこころ ざしめ、 退心たいしん ある もの には 不退ふたいこころ さしめ、 有漏うろもの には 無漏むろこころおこ さしめ、 煩悩多ぼんのうおおもの には 除滅じょめつこころおこ さしむ。 善男子ぜんなんし れを きょう第一だいいち功徳不思議くどくふしぎちから づく。 善男子ぜんなんし第二だいにきょう不思議ふしぎ功徳力くどくりき とは、 衆生しゅじょう あって きょう くことを もの しは 一転いってん しは 一偈乃至一句いちげないしいっく もせば、 すなわ百千億ひゃくせんのく通達つうだつ して、 無量数劫むりょうしゅこう にも 受持じゅじ する ところほう演説えんぜつ すること あた わじ。
【ページ22】
嫉妬する者には他人のなす善を見てこれに従い喜びの心を起こさせ、欲望にとらわれて離れられない者には欲望を捨てる心を起こさせ、 諸々の物欲が強い者には施しをする心を起こさせ、おごり高ぶるもには戒を堅く守る心を起こさせ、 自分の心に逆らうものを怒り恨むものには侮辱や苦しみに耐え忍ぶ心を起こさせ、善行を修めるのに積極的でない者には雑念を去り仏道修行に専心する心を起こさせ、 諸々の煩悩のために心が乱れて不安定な者には精神をある対象に集中させる心を起こさせ、心性が愚かで一切の道理にくらい者には智慧の心を起こさせ、 未だ他の人を悟りの境地に導くことができない者には他の人を悟りの境地に導く心を起こさせ、殺生、偸盗、邪婬、妄語、両舌、悪口、綺語、貧欲、瞋恚、愚痴の十悪を行う者には不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不悪口、不両舌、不綺語、無貪、無瞋、正見の十善の心を起こさせ、 因縁によって生じた一切のものを楽しむ者には生滅変化しない心を志させ、体の疲れや精神の挫けから仏道修業を止めようとする者には二度と再び迷界に退転しない心を起こさせ、 煩悩に迷って悟りを開く事の出来ない者には全ての迷いを残らず離れ去る心を起こさせ、煩悩が多い者には煩悩を除き滅する心を起こさせます。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第一の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いであり通念では理解できない力というのです。 仏法に帰依した男子よ、第二にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いの力とは、もし衆生がいたとしてこの経を聞く機会を得た者は、 ある者は一度教えを聞いて、ある者はたった一つの賛嘆の言葉や、或いはたった一句を聞いただけで、すぐに百千億の教義に深く通じて、 数え切れないほど多くの教えを授けられ、それを演説することができるようになるのです。
【ページ23】
所以ゆえはいかん ん、 ほう義無量ぎむりょう なるを っての ゆえ に。 善男子ぜんなんしきょう は、 たと えば いち種子しゅし より 百千萬ひゃくせんまんしょう じ、 百千萬ひゃくせんまんなか より 一一いちいち復百千萬数またひゃくせんまんじゅしょう じ、 かくごと展転てんでん して 乃至無量ないしむりょう なるが ごと く、 経典きょうでん赤復是またまたかくごと し。 一法いっぽう より 百千ひゃくせんしょう じ、 百千ひゃくせんなか より 一一いちいち復百千萬数またひゃくせんまんじゅしょう じ、 かくごと展転てんでん して 乃至無量無辺ないしむりょうむへん あり。 ゆえきょう無量義むりょうぎ づく。 善男子ぜんなんし れを きょう第二だいに功徳不思議くどくふしぎちから づく。 善男子ぜんなんし第三だいさんきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき とは、 衆生しゅじょう あって きょう くことを て、 しは 一転いってん しは 一偈乃至一句いちげないしいっく もせば、 百千萬億ひゃくせんまんのく通達つうだつおわ って、 煩悩ぼんのう ありと いえど煩悩ぼんのう なきが ごと く、 生死しょうじ出入しゅつにゅう すれども 怖畏ふいにおもい なけん。 もろもろ衆生しゅじょうおいて いて 憐愍れんみんこころしょう じ、 一切いっさいほうおいて いて 勇健ゆうごんおもい ん。 さか んなる 力士りきし諸有しょうおもものになたも つが ごと く、 持経じきょうひと亦復是またまたかくごと し。 無上菩提むじょうぼだいおもたからにな い、 衆生しゅじょう担負たんぷ して 生死しょうじどういだ す。
【ページ23】
理由は何故かというと、この教えは教義が数限りないからです。 仏法に帰依した男子よ、この経は例えて言うならば、一つの種子から百千万を生じ、その百千万の一つ一つからまた百千万を生じ、このように展開し回転して計り知れないほど多くなるように、この経典もまたこれと同じなのです。 一つの教えから百千の教義を生じ、百千の教義の中の一つ一つにまた百千万の数を生じ、このよううに展開して計り知れないほど多くの無限の教義があるのです。 このためにこの経を無量義というのです。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第二の現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いであり通念では理解できない力というのです。 仏法に帰依した男子よ、第三にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いの力とは、もし生命のあるもの全てがこの経を聞く機会を得たとすれば、 ある者は一度教えを聞いて、ある者はたった一つの賛嘆の言葉やたった一句を聞いただけで、すぐに百千億の教義に深く通じて、煩悩があるものでも煩悩がないかのごとく、生き死にするような場面においても畏れを心に感じることもないのです。 諸々の生命のあるもの全てに哀れみの心を起こさせ、全ての法において力強くすこやかな心の状態にさせるでしょう。 勇壮な力士が重い人をかついだり持ったりするように、この常に身から離さずに持っていて読誦する者もまたこれと同じなのです。 最上の完全な悟りという重い宝を荷い、生命のあるもの全ての苦悩を荷い、生まれ死んでいく苦悩の道から救い出すのです。
【ページ24】
いまみずか すること あた わざれども、 すでかれ せん。 船師せんし身重病みじゅうびょうかか り、 四体御したいおさ まらずして きし安止あんし すれども、 この堅牢けんろう舟船常しゅせんつねもろもろかれ する ものべん ぜることあるを、 たまあた えて らしむるが ごと く、 持経者じきょうしゃ亦復是またまたかくごと し。 五道諸有ごどうしょう身百八みひゃくはち重病じゅうびょうかか り、 恒常つね相纏あいまと わされて 無明むみょうろうきし安止あんし せりと いえど も、 しか堅牢けんろう なる 大乗経無量義だいじょうきょうむりょうぎ衆生しゅじょう することを べん ずることあるを、 せつごとぎょう ずる もの は、 生死しょうじ することを るなり。 善男子ぜんなんし れを きょう第三だいさん功徳不思議くどくふしぎちから づく。 善男子ぜんなんし第四だいよんきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき とは、 衆生しゅじょう あって きょう くことを て、 しは 一転いってん しは 一偈乃至一句いちげないしいっく もせば、 勇健ゆうごんおもい て、 いまみずか せずと いえどしか せん。 もろもろ菩薩ぼさつ って 眷属けんぞく り、 諸佛如来しょぶつにょらいつねひとむか って しかほう演説えんぜつ したまわん。
【ページ24】
未だ自らを悟りの境地に導けない者も、他の人を悟りの境地に導くことができるのです。 船で海運する者が重病になり、全身が動かなくなり岸に停泊していたとしても、堅牢に造られた船というのは、常に諸々の生命のあるもの全てを迷いから救う者の道具になる、 という例えを諭し与えて苦悩を取り除くように、この常に身から離さずに持っていて読誦する者もまたこれと同じなのです。 人が善悪の因によっていく地獄・餓鬼・畜生・人間・天上の五つの世界においてその身体が重病になり、いつまでも変わることなく、煩悩にまつわりつかれ、 邪見や俗念に妨げられて、真理を悟ることができない無知や、老いや、死に苦しむ世界に留まっていようとも、 堅牢なこの大乗経無量義が巧みに生命のあるもの全てを悟りの境地に導くということをわきまえ、 この教義のとおりに行ずる者は、生まれては死に死んでは生まれる苦しみや迷いの世界から悟りの世界へと渡れるのです。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第三の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。 仏法に帰依した男子よ、第四にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力とは、もし生命のあるもの全てがこの経を聞く機会を得たとすれば、 ある者は一度教えを聞いて、ある者はたった一つの賛嘆の言葉やたった一句を聞いただけで、力強くすこやかになり、 未だ自分自身で悟りの境地を開くことができなくても、他の人を悟りへと導くことができるのです。 諸々の悟りを求める修行者を従者にし、諸仏や真理に到達した人が常にこの人に向かって仏法を演説するでしょう。
【ページ25】
人聞ひときおわ って ことごと受持じゅじ し、 随順ずいじゅん して さか らわじ。 復人またひとためよろ しきに したが って ひろ かん。 善男子ぜんなんしひとたと えば 国王こくおう夫人ぶにん と、 あら たに 王子おうじしょう ぜん。 しは 一日いちにち しは 二日ににち しは 七日しちにちいた り、 しは 一月いちがつ しは 二月にがつ しは 七月しちがついた り、 しは 一歳いっさい しは 二歳にさい しは 七歳しちさいいた り、 復国事またこくじ領理りょうり すること あた わずと いえど も、 すで臣民しんみん宗敬しゅうきょう せられ、 もろもろ大王だいおう って 伴侶ばんりょ とせん、 王及おうおよ夫人ぶにん愛心偏あいしんひとえおも くして つね みし ともかた らん。 所以ゆえはなんじ ん、 稚小ちしょう なるを っての ゆえ にといわんが ごと く、 善男子ぜんなんし持経者じきょうしゃ亦復是またまたかくごと し。 諸佛しょぶつ国王こくおうきょう夫人ぶにん和合わごう して、 とも菩薩ぼさつみこしょう ず。 菩薩是ぼさつかくきょう くことを て、 しは 一句いっく しは 一偈いちげ しは 一転いってん しは 二転にてん しは じゅう しは ひゃく しは せん しは まん しは 億萬恆河沙無量無数転おくまんごうがしゃむりょうむしゅてん せば、 復真理またしんりごくさと ること あた わずと いえど も、 復三千大千またさんぜんだいせん国土こくど震動しんどう し、 雷奮梵音らいふんぼんのん をもって 大法輪だいほうりんてん ずること あた わずと いえど も、 すで一切いっさい四衆ししゅ八部はちぶたっとあお がれ、
【ページ25】
この人はそれをことごとく理解し、従って逆らわない。 状況に従って人のために広くこの経を説くのです。 仏法に帰依した男子よ、この人はたとえば国王と夫人と、新たに王子を生むでしょう。 あるいは一日あるいは二日あるいは七日に至り、あるいは一月あるいは二月あるいは七ヶ月に至り、あるいは一年あるいは二年あるいは七年に至り、 また国事を領有して管理することができないとしても臣民に敬われ、諸々の大王の子を伴侶とするでしょう、王と夫人は、いつくしみ愛する心があり常に関係し共に語り合うでしょう。 理由は何故かというと、幼く小さい子があるという理由によるのと同じように、仏法を信じる人々よ、この経典の教えを銘記して忘れずもっぱら読経する者もこれと同じなのです。 諸々の仏の国王とこの経である夫人とが和合して、共にこの菩薩である子を生ずるのです。 もし悟りを求める修行者がこの経を聞けば、ある者はたった一句を、もしくはたった一つの賛嘆の言葉を聞いただけで、ある者は一度教えを聞いて、あるいは二度、あるいは十、 あるいは百、あるいは千、あるいは万、あるいは億万、ガンジス川の砂の数ほど無数に教えを聞き、 また真理のきわみを体現することがなくても、また三千大千の世界を振動させ、雷のように大きな清き声で仏法を説くことができないとしても、すでに出家者や在家の男女や八部衆に仰がれ、
【ページ26】
もろもろ大菩薩だいぼさつ って 眷属けんぞく とせん。 ふか諸佛秘密しょぶつひみつほう って、 演説えんぜつ する 所違ところたご うことなく とが なく、 つね諸佛しょぶつ護念ごねん慈愛偏じあいひとえおお われん、 新学しんがく なるを ての ゆえ に。 善男子ぜんなんし れを きょう第四だいし功徳不思議くどくふしぎちから づく。 善男子ぜんなんし第五だいごきょう不思議ふしぎ功徳力くどくりき とは、 善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん しは ほとけ在世若ざいせも しは 滅度めつdのち に、 ごと甚深無上大乗無量義経じんじんむじょうだいじょうむりょうぎ受持じゅじ読誦どくじゅ書写しょしゃ することあらん。 人復具縛煩悩ひとまたぐばんぼんのう にして、 いまもろもろ凡夫ぼんぶ遠離おんり すること あた わずと いえど も、 しか大菩薩だいぼさつどう示現じげんし し、 一日いちにち べて って 百劫ひゃっこう し、 百劫ひゃっこう亦能またよちじ めて 一日いちにち して、 衆生しゅじょう をして 歓喜かんぎ信伏しんぶく せしめん。 善男子ぜんなんし善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにんたと えば 龍子始りゅうしはじ めて うま れて 七日しちにち に、 すなくもおこ亦能またよあめふら らすが ごと し。 善男子ぜんなんし れを きょう第五だいご功徳不思議くどくふしぎちから づく。 善男子ぜんなんし第六だいろくきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき とは、 善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん
【ページ26】
諸々の悟りを求める修行者を従者とするでしょう。 深く諸仏の深遠で容易に知りがたい奥義の教えに入って、演説する教えに間違いがなく失敗なく、常に諸仏に心にかけられて守られ慈愛に覆われるでしょう、仏法を学び始めるという理由のために。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第四の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。 仏法に帰依した男子よ、第五にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力というのは、もしも仏法を信ずる男女が、 仏がこの世にあるときまたはこの世を去られた後に、このような非常に深くこの上ない衆生救済を重んじる無量義経の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え書写することをするならば、 この人がまた煩悩に縛られていて、未だ愚かな人間の行いを遠ざけられずにいるといえども、それでもよく修行が進んで不退の位に上った菩薩の道を示し現し、 一日を百劫という極めて長い時間にも延ばし、百劫をまた縮めて一日とし、それを聞く生命のあるもの全てを喜ばせ教えを信じさせ服従させるでしょう。 仏法に帰依した男子よ、この善男子と善女人はたとえば龍の子供が生まれて7日目によく雲を起こし雨を降らせるようなものです。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第五の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。 仏法に帰依した男子よ、第六にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力というのは、仏法を信じる男女が、
【ページ27】
しは ほとけ在世若ざいせも しは 滅度めつdのち に、 経典きょうでん受持じゅじ読誦どくじゅ せん もの は、 煩悩ぼんのう せりと いえど も、 しか衆生しゅじょうほう いて、 煩悩生死ぼんのうしょうじ遠離おんり一切いっさいだん ずることを せしめん。 衆生聞しゅじょうききおわ って 修行しゅぎょう して 得法とくほう得果とっか得道とくどう すること、 佛如来ほとけにょらいひと しくして 差別さべつ なけん。 たと えば 王子復稚小おうじまたちしょう なりと いえど も、 おう巡遊じゅんゆうおよ疾病しつびょう するに、 王子おうじまか せて 国事こくじ領理りょうり せしむ。 王子是おうじこ時大王ときだいおうめい って、 ほうごと群僚百官ぐんりょうひゃっかん教令きょうりょう正化しょうけ宣流せんる するに、 国土こくど人民各其じんみんおのおのそようしたが って、 大王だいおう するが ごとひと しくして なることあることなきが ごと く、 持経じきょう善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん亦復是またまたかくごと し。 しは ほとけ在世若ざいせも しは 滅度めつどのち善男子未ぜんなんしいま初不動地しょふどうちじゅう することを ずと いえど も、 ほとけかくごと教法きょうほう用説ゆうせつ したもうに って しか敷演ふえん せんに、 衆生聞しゅじょうきおわ って 一心いっしん修行しゅぎょう せば、 煩悩ぼんのう断除だんじょ し、 得法とくほう得果とっか乃至得道ないしとくどう せん。 善男子ぜんなんし れを きょう第六だいろく功徳不思議くどくふしぎちから づく。
【ページ27】
仏がこの世にあるとき、またはこの世を去られた後に、この経典の教えを銘記して忘れず読誦するものは、煩悩を持っていようとも、 生命のあるもの全て生のために仏法を説き、煩悩や生死の苦悩を遠くに引き離し、苦しみを立つことを得させるでしょう。 生命のあるもの全てが聞きおわって修行して仏道修行によって得られる教え、仏道修行によって得る位、仏道修行によって得る悟りは、仏や如来と同じであり差別ないのです。 たとえば王子がまだ小さいとしても、もし王が各地を巡り歩いたり病気になったりしたときは、この王子に任せて国事を管理させる。 王子はこのときに大王の命令によって、法律のように官僚たちに命令し正しいことを述べ伝えれば、国土の人民はその要点に従って、大王が納めるのと同じであり異なることがないかのごとく、この経を受持する仏法を信ずる男女もまたこれと同じことです。 仏がこの世にあるときまたはこの世を去られた後に、この仏法を信ずる男子が未だ菩薩の位の第八位である修行が完成し、自然に菩薩行が行われる状態にまで至っていなくても、仏のこのように説かれた教法を用いて説くことにより、生命のあるもの全てがこれを聞き一心に修行すれば、煩悩を断ち捨て去り、仏道修行によって得られる教え、仏道修行によって得る位、仏道修行によって得る悟りを得るでしょう。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第六の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。
【ページ28】
善男子ぜんなんし第七だいしちきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき とは、 善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにんほとけ在世若ざいせも しは 滅度めつどのちおいて いて、 きょう くことを て、 歓喜かんぎ信楽しんぎょう希有けうこころしょう じ、 受持じゅじ読誦どくじゅ書写しょしゃ解説げせつごと修行しゅぎょう し、 菩提心ぼだいしんおこ し、 もろもろ善根ぜんごんおこ し、 大悲だいひこころおこ して、 一切いっさい苦悩くのう衆生しゅじょう せんと ほっ せば、 いま六波羅蜜ろくはらみつ修行しゅぎょう することを ずと いえど も、 六波羅蜜自然ろくはらみつじねん在前ざいせん し、 すなおいて いて 無生法忍むしょうぼうにん生死しょうじ煩悩一時ぼんのういちじ断壊だんね して、 菩薩ぼさつ第七だいしちのぼ らん。 たと えば すこや かなる ひと の、 おうためあだのぞ くに、 怨既あだすでにめっおわ りなば 王大おおおお歓喜かんぎ して、 賞賜しょうし するに 半国はんごくの封悉ほうことごと って あた えんが ごと く、 持経じきょう善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん亦復是またまたかくごと し。 もろもろ行人ぎょうにんおいて いて もっと勇健ゆうごん なり。 六度ろくど法宝求ほうぼうもと めざるに おのずかいた ることを たり。 生死しょうじ怨敵自然おんできじねん散壊さんね し、 無生忍むしょうにん半佛国はんぶつこくたからしょう し、 ほうしょう あって 安楽あんらく ならん。 善男子ぜんなんし れを きょう第七だいしち功徳不思議くどくふしぎちから づく。
【ページ28】
仏法に帰依した男子よ、第七にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力とは、 もし仏法を信ずる男女が、仏がこの世にあるときまたはこの世を去られた後に、この経を聞く機会を得て、歓喜し教えを信じ喜び希有な心を生じ、 仏の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え書写し解説し教えのとおりに修行し、悟りを求めようとする心を起こし、諸々のよい報いを招くもとになる行為をし、大きな慈悲の心お起こし、 全ての苦悩に苦しむ人々を悟りに導こうとするなら、悟りを求める修行者が未だに涅槃に至るための六つの徳目である布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧を修行せずとも、 六つの徳目は自然と身に付き、すなわちこの身において一切のものが不生不滅であると認め、生死や煩悩は直ちに断ち切られ仏道修行の第七の位に上るでしょう。 それはたとえば、勇士が王のために敵を除いてしまったならば、敵がすでにいなくなり王は歓喜して、国の半分を褒美として与えるようなもので、 仏の教えを銘記して忘れずにまもる仏法を信ずる人々もまたこれと同じことです。 諸々の仏道を修行する人の中で最も力強く健やかである。 布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜を求めずとも自ずから得たことなのです。 生まれては死に死んでは生まれる苦しみの恨みのある敵は自然にいなくなり、生じることも滅することもないという真理を認識するという仏の国の半分の宝を証明し、安泰に暮らすことができるのです。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第七の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。
【ページ29】
善男子ぜんなんし第八だいはちきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき とは、 善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん しは ほとけ在世若ざいせも しは 滅度めつどのち に、 ひと あって 経典きょうでん たらん もの は、 敬信きょうしん すること 佛身ぶっしん たてまつるが ごとひと しくして こと ることなからしめ、 きょう愛楽あいぎょう し、 受持じゅじ読誦どくじゅ書写しょしゃ頂戴ちょうだい し、 ほうごと奉行ぶぎょう し、 かいにん堅固けんご にし、 ねて 檀度だんど じ、 ふか慈悲じひおこ して、 無上大乗無量義経むじょうだいじょうむりょうぎこう って、 ひろひとため かん。 人先ひとさき より このかた全て べて 罪福ざいふく あることを しん ぜざる もの には、 きょうしめ して、 種種しゅじゅ方便ほうべんしい して しん ぜしめん。 きょう威力いりき っての ゆえ に、 ひと信心しんじんおこ欻然こつねん として することを ん。 信心既しんじんすでおこ して 勇猛精進ゆうみょうしょうじん するが ゆえ に、 きょう威徳勢力いとくせいりき て、 得道とくどう得果とっか せん。 ゆえ善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにんこうむ功徳くどく っての ゆえ に、 男子なんし女人即にょにんすなわおいて いて 無生法忍むしょうぼうにん上地じょうぢいた ることを て、 もろもろ菩薩ぼさつ って 眷属けんぞく りて、 すみや かに 衆生しゅじょう成就じょうじゅ し、 佛国土ぶっこくどきよ め、 ひさ しからずして 無上菩提むじょうぼだいじょう ずることを ん。 善男子ぜんなんし れを きょう第八だいはち功徳不思議くどくふしぎちから づく。
【ページ29】
仏法に帰依した男子よ、第八にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力とは、 もし仏法を信ずる男女が、仏がこの世にあるときまたはこの世を去られた後に、この経典をよく理解した者は、 人々から尊敬され敬われるさまは仏のお姿を見立て奉るようであり等しく異なることなく、 “この経の仏の教えを願い求め、仏の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え書写し、仏法のように仏の教えを奉じそれを行い、戒律を守りあらゆる困難に耐えはずかしめをしのぶ行為を堅く守り、 他人に金品や教えを与えることによって悟りに達する修行を行い、深い慈悲の心を起こし、このこの上ない衆生救済を重んじる無量義経を、広く人のために説きなさい。 ” もしある人が長い間、悪い行為と善い行為がもたらす善悪の報いを信じないのならば、この経を持ってこのことを説明し、いろいろな悟りへ導くための巧みな方法を用いて必ずや教化して信じさせよう。 経の服従させる強い力により、その人に信心する心を起こさせ疑いや迷いが解けて理解するでしょう。 仏を信仰する心を起こして何者をも恐れずに雑念を去り仏道修行に専心するために、この経の厳かで徳の高い力を得て仏道を修行して悟りを開き仏道修行の位を得るでしょう。 この理由により、仏法に帰依した男子と仏法に帰依した女子は、教え導くことによる現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を授かるために、 男も女もそれ自身において一切のものが不生不滅であると認め、仏道修行の最高の位に至り、諸々の悟りを求める修行者を配下にし、早く巧みに人々を悟りに導き、仏の国を清め、 遠からず最上の完全な悟りを得ることができるでしょう。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第八の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。
【ページ30】
善男子ぜんなんし第九だいくきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき とは、 善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん しは ほとけ在世若ざいせも しは 滅度めつどのち に、 きょう ることあって 歓喜踊躍かんぎゆやく し、 未曽有みぞう なることを て、 受持じゅじ読誦どくじゅ書写しょしゃ供養くよう し、 ひろ衆人しゅうにんためきょう分別ぶんべつ解説げせつ せん もの は、 すな宿業しゅくごう余罪重障よざいじゅうしょう一時いちじ滅尽めつじん することを 便すな清浄しょうじょう なることを て、 大弁だいべん逮得たいとく し、 次第しだいもろもろ波羅蜜はらみつ荘厳しょうごん し、 もろもろ三昧さんまい首楞厳三昧しゅりょうごんさんまい大総持門だいそうじもん り、 勤精進力ごんしょうじんりきすみや かに 上地じょうぢ ゆることを 分身散体ぶんじんさんたい して 十方じっぽう国土こくどへん じ、 一切二十五有いっさいにじゅうごう極苦ごっく衆生しゅじょう抜済ばっさい して ことごと解脱げだつ せしめん。 ゆえきょうかくごと きの ちから います。 善男子ぜんなんし れを きょう第九だいく功徳不思議くどくふしぎちから づく。
【ページ30】
仏法に帰依した男子よ、第九にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力とは、 もし仏法を信ずる男女が、仏がこの世にあるときまたはこの世を去られた後に、この経を聞く機会を得て喜んで踊りあがり、今までに一度もなかったことを経験し、 仏の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え書写し供養し、広く人々のためにこの経の教義を理解し解説する者は、 すなわち前世に行った善悪の行為によって現世で報いとしてこうむる罪や障りもいっぺんに消滅し、煩悩、私欲、罪悪などがなく心が清らかになり、物事を理解し見分けることを身に付け、 迷いの世界である此岸から悟りの彼岸に到達する修行を身に付け、心を一つの対象に集中して動揺しない心を得、仏の説くところをよく記憶して忘れないようになり、 知恵に裏ずけされた努力により速やかに仏道修行の高い位へ登ることを得て、 巧みに分身して十方の国土に現れ、全ての二十五種類の感情や意識などの心の動きを有する生命のあるもの全ての苦悩を抜き取り悟りへ導くでしょう。 この理由によりこの経にはこのような力があるのです。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第九の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。
【ページ31】
善男子ぜんなんし第十だいじゅうきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき とは、 善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん しは ほとけ在世若ざいせも しは 滅度めつどのち に、 きょう大歓喜だいかんぎおこ し、 希有けうこころしょう じ、 すでみずか受持じゅじ読誦どくじゅ書写しょしゃ供養くようせつごと修行しゅぎょう し、 復能またよひろ在家出家ざいけしゅっけひとすす めて、 受持じゅじ読誦どくじゅ書写しょしゃ供養くよう解説げせつ し、 ほうごと修行しゅぎょう せしめん。 すで余人よにん をして きょう修行しゅぎょう せしむる ちからゆえ に、 得道とくどう得果とっか せんこと、 皆是みなこ善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにん慈心じしん をもって ねんご ろに する ちから るが ゆえ に、 善男子ぜんなんし善女人ぜんにょにんすなおいて いて 便すな無量むりょうもろもろ陀羅尼門だらにもん逮得たいとく せん。 凡夫地ぼんぶぢおいて いて、 自然じねんはじめて めの とき無数阿僧祇むしゅあそうぎ弘誓大願ぐぜんだいがんおこ し、 ふか一切衆生いっさいしゅじょうすく わんことを おこ し、 大悲だいひ成就じょうじゅ し、 ひろもろもろ き、 あつ善根ぜんごんあつ めて 一切いっさい饒益にょうやく せん。 しこう して ほううるおい べて おおいに枯涸こかくうるお し、 ほうくすり って もろもろ衆生しゅじょうほどこ し、 一切いっさい安楽あんらく し、 漸見超登ぜんけんちょうとう して 法雲地ほううんぢじゅう せん。 恩沢普おんたくあまねうるお慈被じひ すること ほか なく、 衆生しゅじょうせっ して 道跡どうしゃく らしめん。 ゆえひと は、 ひさ しからずして 阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいじょう ずることを ん。 善男子ぜんなんし れを きょう第十だいじゅう功徳不思議くどくふしぎちから づく。
【ページ31】
仏法に帰依した男子よ、第十にこの経の通念では理解できない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力とは、 もし仏法に帰依した男女が、仏がこの世にあるときまたはこの世を去られた後に、この経を聞く機会を得て大いに喜び、今までに一度もなかったことを経験し、 仏の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え書写し供養し説のごとく修行し、また広く在家出家の人に勧め、仏の教えを銘記して忘れず読み節をつけて唱え書写し供養し解説し、 仏法の説くように修行させたならば。 既に他の人々にこの経を修行させた力のために、仏道を修行して悟りを開き悟りの境地を得ることは、みなこの仏法に帰依した男女の慈悲の心によって教化する力があるためであり、 この仏法に帰依した男女は無量の記憶力、知力、念力を得る方法を得るでしょう。 仏教の教えを理解していない修行者の位において、自然に初めのときにとてつもなく多くの衆生を救おうとしてたてた菩薩の誓願をたて、深くよく全ての生命のあるものを救おうとし、 生命のあるもの全ての苦しみを救う仏の大きな慈悲を成就し、広くよく人々の苦悩を抜き、たくさんのよい報いを招く元になる行為を重ねて全てのためになるでしょう。 このようにして教えのめぐみを述べて渇いた心を潤し、巧みに教えの薬をもって諸々の生命のあるもの全てに施し、全てを安楽にし、物事が少しずつ進み向上して、菩薩の最高位にのぼるでしょう。 人や物に利益や幸いをもたらすことがもれなく全てに及び慈しみを受け、苦悩の生命のあるもの全てを仏道へ導くでしょう。 このためにこの人は、遠くない未来に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を成就することができるでしょう。 仏法に帰依した男子よ、これをこの経の第十の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行であり通念では理解できない力というのです。
【ページ32】
善男子ぜんなんしかくごと無上大乗無量義経むじょうだいじょうむりょうぎこう は、 ごく めて 大威神だいいじんちから ましまして、 そん にして 過上かじょう なし。 もろもろ凡夫ぼんぶ をして 皆聖果みなしょうかじょう じ、 なが生死しょうじはな れて 皆自在みなじざい なることを せしめたもう。 ゆえきょう無量義むりょうぎ づく。 一切衆生いっさいしゅじょう をして、 凡夫地ぼんぶぢおいて いて もろもろ菩薩ぼさつ無量むりょう道牙どうげ生起しょうき せしめ、 功徳くどくじゅ をして 鬱茂扶蔬増長うつむふそじょうちょう せしめたもう。 ゆえきょう不可思議ふかしぎ功徳力くどくりき づく。 とき大荘厳菩薩摩訶薩及だいしょうごんぼさつまかさつおよび八萬はちまん菩薩摩訶薩ぼさつまかさつこえおな じうして ほとけもう して もう さく、 世尊せそんほとけ所説しょせつごと甚深微妙無上大乗無量義経じんじんみみょうむじょうだいじょうむりょうぎこう は、 文理真正もんりしんしょう に、 そん にして 過上かじょう なし。 三世さんぜ諸佛しょぶつとも守護しゅご したもう ところ衆魔群道しゅまぐんどう得入とくにゅう することあることなく、 一切いっさい邪見生死じゃけんしょうじ壊敗えはい せられず。 ゆえきょうすなわかくごとじゅう功徳不思議くどくふしぎちから います。 おおい無量むりょう一切衆生いっさいしゅじょう饒益にょうやく し、 一切いっさいもろもろ菩薩摩訶薩ぼさつまかさつ をして 各無量義三昧おのおのむりょうぎさんまいあるい百千陀羅尼門ひゃくせんだらにもん せしめ、 あるい菩薩ぼさつ諸地しょぢ諸忍しょにんあるい縁覚えんがく羅漢らかん四道果しどうかしょう せしめたもう。
【ページ32】
仏法に帰依した男子よ、このようなこの上ない衆生救済を重んじる無量義経は厳かで高い徳の力があり、敬うべきであってこの上ないのです。 諸々の仏教の教えを理解していない人に仏道修行によって得た悟りの境地を得させて、永遠に生まれては死に死んでは生まれる苦しみから解放されて自由を得させるでしょう。 このためにこの経を無量義と名付けるのです。 全ての生命のあるものに、仏教の教えをまだよく理解していないときに、諸々の悟りを求める修行者の計り知れない多くの悟りを得ようとする心の芽をださせ、 現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の樹木を生い茂らせ大きく育てるのです。 このためにこの経を通念では理会出来ない現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行の力というのです。 そのときに大荘厳菩薩と八万の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者は、声を同じくして仏に向かって言った、 世尊、仏が説かれたような非常に深くはっきりととらえられないほど細かく複雑で難しくこの上なく衆生の救済を重んじる無量義経は、文章の筋道が真に正しく、敬意を払うべきでこの上ない。 過去現在未来における諸々の仏が共に守護なさるものなのです。邪道に誘い込む悪魔や邪教の入り込むことはなく、 全ての因果の道理を無視する誤った考え方や生まれては死に死んでは生まれる苦しみに秩序がこわれることはないのです。 この理由のためこの経はすなわちこのような十の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行と不思議な力を持っているのです。 はかることができないほど多く全ての生命のあるものを豊かに利益し、全ての悟りを求める修行者や偉大な大衆にはかることができないほど多くの教義を正しくとらえられるようにし、 あるいは百千の現世や来世に幸福をもたらすもとになる善行を全て持つ手段を与え、あるいは悟りを求める修行者の諸々の修行の位や諸々の確信を得させ、或いは、 仏の教えによらず十二因縁を観じて理法を悟った者という位や自分だけの悟りを開いた者という位、 修行により得られる四つの位である須陀洹果、斯陀含果、阿那含果、阿羅漢果の位を得させるでしょう。
【ページ33】
世尊慈愍せそんじみん して こころよ我等われらためかくごとほう いて、 われ をして おおい法利ほうり せしめたもう。 はなはだこれ奇特きどく未曽有みぞうう なり。 世尊せそん慈恩実じおんじつほう ずべきこと がた し。 ことばおわ りし、 とき三千大千世界さんぜんだいせんさえかい六種ろくしゅ震動しんどう し、 上空じょうくうなか より 復種種またしゅじゅ天華てんげ天優鉢羅華てんうばつらけ鉢曇摩華はつどんまけ拘物頭華くもつずけ分陀利華ふんだりけ らし、 又無数種種またむしゅしゅじゅ天香てんこう天衣てんね天瓔珞てんようらく天無価てんむげたから らして、 上空じょうくうなか より 旋転せんでん して 来下らいげ し、 佛及ほとけおよびもろもろ菩薩ぼさつ声聞しょうもん大衆だいしゅ供養くよう す。 天厨てんちゅう天鉢器てんばっき天百味充満盈溢てんひゃくみじゅうまんよういつ せる、 しき見香みこう ぐに 自然じねん飽足ほうそく す。 天幢てんどう天幡てんばん天軒蓋てんこんがい天妙楽具てんみょうらくぐ処処しょしょ安置あんち し、 てん伎楽ぎがく して ほとけ歌歎かたん す。 又復六種またまたろくしゅ東方恆河沙等とうぼうごうがしゃとう諸佛しょぶつ世界せかい震動しんどう す。 亦天華またてんげ天香てんこう天衣てんね天瓔珞てんようらく天無価てんむげたから らし、 天厨てんちゅう天鉢器てんばっき には てん百味ひゃくみしき見香みこう くに 自然じねん飽足ほうそく す。 天幢てんどう天幡てんばん天軒蓋てんこんがい天妙楽具てんみょうらくぐ処処しょしょ安置あんち し、 てん伎楽ぎがく して 佛及ほとけおよびもろもろ菩薩ぼさつ声聞しょうもん大衆だいしゅ歌歎かたん す。 南西北方なんざいほっぽう  ・   四維しゆい  ・   上下じょうげ亦復是またまたかくごと し。
【ページ33】
世尊は慈しみあわれみ快く私たちのためにこのような法を説いて、私たちに法のご利益を受けさせてくださいました。 それは大変珍しく今まで一度もなかったことなのです。 世尊のいつくしみぶかい恩に報いることは難しいのです。 この言葉を言い終わると、そのときに三千大千世界が六種に振動し、上空から種々の天華、天優鉢羅華、鉢曇摩華、拘物頭華、分陀利華を雨のように降らし、 また数えきれないほどたくさんの種類の天の香、天の衣、天の瓔珞、天の価値のつけられない宝を雨のように上空より降らして上空より旋回して回転しながら落ちてきて、 仏や諸々の悟りを求める修行者、自己の悟りのみを求める修行者、人々に供養されたのです。 天の鉢に天の百の食べ物がたくさん盛られ、色を見て香りをかぐだけで自然に満たされたのです。 魔軍を制する仏のしるし、旗、天蓋、天の妙なる楽器があちらこちらに置かれ、天の音曲が奏でられ、仏を歌でほめたたえた。 また東方のガンジス川の砂の数ほどある仏の世界を六種に振動させました。 また天の花、香、衣、首飾りや腕輪、値をはかることができないほど貴重な宝を雨のように降らし、天の鉢に盛られた百の異なる食べ物の色を見たり香りを嗅ぐだけで自然に満足した。 魔軍を制する仏のしるしの天の幢、天の幡、天の軒蓋、天の妙なる楽器があちらこちらに置かれ、天の音曲が奏でられ、そこにいらっしゃる仏や悟りを求める修行者や自己の悟りのみを求める修行者、 人々を謳歌し賛嘆したのです。 南西北方天地の四つの隅上下もまたこのようでした。
【ページ34】
ときほとけ大荘厳菩薩摩訶薩及だいしょうごんぼさつまかさつおよび八萬はちまん菩薩摩訶薩ぼさつまかさつ げて もう わく、 汝等当なんだちまさきょうおいて いて おうふか敬心きょうしんおこほうごと修行しゅぎょう し、 ひろ一切いっさい して 勤心ごんしん流布るふ すべし。 つねまさ慇懃おんごん昼夜守護ちゅうやしゅご して、 もろもろ衆生しゅじょう をして 各法利おのおのほうり せしむべし、 汝等なんだちしん大慈大悲だいじだいひ なり。 って 神通じんづう願力がんりき てて、 きょう守護しゅご して 疑滞ぎたい せしむることなかれ。 なんじ當時そのときおいて いて かならひろ閻浮提えんぶだいぎょう ぜしめ、 一切衆生いっさいしゅじょう をして 見聞けんもん読誦どくじゅ書写しょしゃ供養くよう することを せしめよ。 れを っての ゆえ に、 亦疾またと汝等なんだち をして すみや かに 阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい せしめん。 とき大荘厳菩薩摩訶薩だいしょうごんぼさつまかさつ八萬はちまん菩薩摩訶薩ぼさつまかさつすな より って 佛所ぶっしょ来詣らいけい して、 頭面ずめんみあしらいめぐ ること 百千帀ひゃくせんそう して、 すなすす んで 胡跪こき倶共ともこえおな じうして ほとけもう して もう さく、 世尊せそん我等快われらこころよ世尊せそん慈愍じみんこうむ りぬ。 我等われらため甚深微妙無上大乗無量義じんじんみみょうむじょうだいじょうむりょうぎこう きたもう。 つつし んで 佛勅ぶっちょく けて、 如来にょらい滅後めつごおいて いて まさひろ経典きょうでん流布るふ せしめ、 あまね一切いっさい をして 受持じゅじ読誦どくじゅ書写しょしゃ供養くよう せしむべし、
【ページ34】
そのときに仏は、大荘厳菩薩と八万の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者に告げて言われた、 おまえたちは、当然この経を深く敬う心を起こし、この教えのように修行し、広く全てを教化して謹みはげみ世に広めるべきである。 当然、常に真心を込めて昼夜仏法を守護して、諸々の生命のあるもの全てに仏法の恵みを得させるべきである。 おまえたち、真にこれが大きなあわれみであり苦しみを取り除くことなのです。 どんなことも自由自在になし得る計り知れない不思議な働きにより衆生を救おうとする誓願の力を使い、この経を守護して疑いためらうことなかれ。 おまえたち、今当然必ず広く人間世界に修行をさせ、全ての生命のあるものに見聞きし読み節をつけて唱え書写し供養することができるようにさせるべきである。 これをすることによって、また速やかにおまえたちに一切の真理をあまねく知った最上の智を得させよう。 そのときに大荘厳菩薩と八万の悟りを求める修行者と大乘を求める修行者は、座より立って仏のところへ集まり、 仏の足に礼をし巡ること千数百回、前へ出てひざまずき、共に声をそろえて仏に向かって言った、 世尊、われらは快く世尊のいつくしみ哀れむ心を授かりました。 私たちのためにこの非常に奥が深く一言では言い表せないほど複雑でこの上ない衆生の救済を重んじる無量義経をお説きになりました。 礼儀を尽くし仏の声を直接聞き教えを授かり、如来の入滅後において当然広くこの経典を広めさせ、広く世間に全ての教えを銘記させ読ませ節をつけて唱えさせ、書写させ供養させるでしょう。
【ページ35】
唯願ただねが わくは 憂慮うりょ れたもうことなかれ。 我等当われらまさ願力がんりき って、 あまね一切衆生いっさいしゅじょう をして きょう見聞けんもん読誦どくじゅ書写しょしゃ供養くよう することを きょう威神いじんふく せしむべし。 とき佛讃ほとけほ めて のたま わく、 善哉善哉ぜんざいぜんざいもろもろ善男子ぜんなんし汝等今者真なんだちいましん佛子ぶっし なり。 ひろ大慈大悲だいじだいひ をもって ふかやくすくもの なり。 一切衆生いっさいしゅじょう良福田ろうふくでん なり。 ひろ一切いっさい大良導師だいろうどうし れり。 一切衆生いっさいしゅじょう大依止処だいえししょ なり。 一切衆生いっさいしゅじょう大施主だいせしゅ なり。 つね法利ほうり って ひろ一切いっさいほどこ せと。 とき大会皆大だいえみおおい歓喜かんぎ して、 ほとけらい し、 受持じゅじ して りにき。
【ページ35】
ただ願わくは心配することのないように。 私たちは当然衆生を救おうとする仏の誓願の力により、広く世間全ての生命のあるものにこの経を見聞きさせ読み節をつけて唱え書写し供養させ、この経の自然に人を従わせるような厳かさと福を得させましょう。 そのときに仏はほめて言われた、素晴らしい。素晴らしい。諸々の仏道に帰依した男子よ、おまえたちこそ今真の仏の弟子である。 仏が人々をあわれみ楽しみを与え苦しみを取り除く大きな心を持って深く巧みに人々の苦悩を抜きわざわいを救う者である。 全ての生命のあるものにとって田が実りを生じるように福徳を生じる者である。 広く全てのために仏の教えを説いて人々を仏道に入らせる導師となった。 全ての生命のあるものが頼りとし拠り所として留まるところである。 全ての生命のあるものに施す者である。 常に仏法のご利益を広く全てに施しなさい。 そのときに大いなる集いの人はみな大いに歓喜して、仏に礼を尽くし、教えを銘記して忘れないことを誓い去った。