目次

無量義経 徳行品第一 

【 訓 読 】
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かくごとききを 我聞われききき。一時いちじほとけ王舎城おおしゃじょう耆闍崛山ぎしゃくせんの中にじゅうしたまい、 大比丘衆萬二千人だいびくしゅうまんにせんにんともなりき。 菩薩摩訶薩八萬人ぼさつまかさつはちまんにんあり。天・龍・夜叉・乾闥婆けんだつば・阿修羅・ 迦楼羅かるら緊那羅きんなら摩睺羅迦まごらがあり、 もろもろ比丘びく比丘尼びくに及び優婆塞うばそく優婆夷うばいともなり。大転輪王・小転輪王・ 金輪こんりん銀輪ごりん諸輪しょりんの王・ 国王・王子・国臣こくしん・国民・国士・国女・国大長者・ 各眷属百千萬數おのおのけんぞくひゃくせんまんしゅにしておのずから囲遶いにょうせると 佛所ぶっしょ来詣らいけいして頭面にみあしらいし、めぐるること百千帀ひゃくせんそうして、 香を焼き華を散じ、種種しゅじゅに供養することおわって、退しりぞ いて一面に坐す。 の菩薩の名を、 文殊師利法王子 もんじゅしりほうおうじ 大威徳藏法王子 だいいとくぞうほうおうじ 無憂藏法王子 むうぞうほうおうじ 大辯藏法王子 だいべんぞうほうおうじ 彌勒菩薩 みろくぼさつ 導首菩薩 どうしゅぼさつ 薬王菩薩 やくおうぼさつ 薬上菩薩 やくじょうぼさつ 華幢菩薩 けじょうぼさつ 華光幢菩薩 けこうどうぼさつ 陀羅尼自在王菩薩 だらにじざいおうぼさつ 観世音菩薩 かんぜんおんぼさつ 大勢至菩薩 だいせいしぼさつ 常精進菩薩 じょうそうじんぼさつ 寶印首菩薩 ほういんしゅぼさつ 寶積菩薩 ほうしゃくぼさつ 寶杖菩薩 ほうじょうぼさつ
【 現 代 語 訳 】

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このよう聞いた。ある日、仏は中インド、王舎城の耆闍崛山にいた、一万二千人の優れた出家男 子たちと、悟りを求める修行者と大乘を求める修行者が八万人いた。天・龍・夜叉・乾闥婆けんだつば・阿修羅・ 迦楼羅かるら・緊那羅きんなら・摩睺羅迦まごらががいた。 諸々の出家男子、出家女子及び在家信士、在家信女 もいた。大転輪王・小転輪王・金輪こんりん・銀輪ごりん・諸輪しょりんの王・ 国王・王子・国臣こくしん・国民・国士・国女・ 国大長者、各々に仕える者が千数百人いた。自ら仏に敬意を払い右肩を向けて周りを歩き 礼拝し、仏のところに至り足に礼をし、巡ること千数百回、香をたき花を散じ、いろいろな供養を 終えて、退いて一同がお座った。そのときいた悟りを求める修行者の名は、 文殊師利法王子 もんじゅしりほうおうじ ・ 大威徳藏法王子 だいいとくぞうほうおうじ ・ 無憂藏法王子 むうぞうほうおうじ ・ 大辯藏法王子 だいべんぞうほうおうじ ・ 彌勒菩薩 みろくぼさつ ・ 導首菩薩 どうしゅぼさつ ・ 薬王菩薩 やくおうぼさつ ・ 薬上菩薩 やくじょうぼさつ ・ 華幢菩薩 けじょうぼさつ ・ 華光幢菩薩 けこうどうぼさつ ・ 陀羅尼自在王菩薩 だらにじざいおうぼさつ ・ 観世音菩薩 かんぜんおんぼさつ ・ 大勢至菩薩 だいせいしぼさつ ・ 常精進菩薩 じょうそうじんぼさつ ・ 寶印首菩薩 ほういんしゅぼさつ ・ 寶積菩薩 ほうしゃくぼさつ ・ 寶杖菩薩 ほうじょうぼさつ ・
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越三界菩薩 おっさんがいぼさつ 毘摩跋羅菩薩びまばつらぼさつ香象菩薩こうぞうぼさつ大香象菩薩だいこうぞうぼさつ師子吼王菩薩ししくおうぼさつ師子遊戯世菩薩ししゆけせぼさつ師子奮迅菩薩ししふんじんぼさつ師子精進菩薩しししょうじんぼさつ勇鋭力菩薩ゆえいりきぼさつ師子威猛伏菩薩ししいみょうぶくぼさつ荘厳菩薩しょうごんぼさつ大荘厳菩薩だいしょうごんぼさつ という。かくの如き菩薩摩訶薩八萬人倶ぼさつまかさつはちまんにんともなり。 もろもろ菩薩ぼさつ皆是みなこ法身ほっしん大士だいじならざることなし。 かいじょう解脱げだつ解脱知見げだつちけん・ の成就じょうじゅせるところなり。 心禪寂こころぜんじゃくにして、つね三昧さんまいって、恬安憺怕てんなんたんぱく無為むい 無欲むよくなり。顛倒亂想てんどうらんそう復入またいることをず。 静寂清澄じょうじゃくしょうちょう志玄虚漠しげんこまくなり。これまも ってどうぜざること億百千劫おくひゃくせんごう無量むりょう法門悉ほうもんことごと現在前げんざいぜんせり。大智慧だいちえしょほう通達つうだつし、性相しょうそう眞實しんじつ曉了ぎょうりょう分別ふんべつするに、 有無長短うむちょうたん明現顯白みょうげんけんびゃくなり。 またもろもろ根性欲こんじょうよくり、陀羅尼だらに無礙辯才むげべんざいもって、 諸佛しょぶつ轉法輪てんぽうりん隨順ずいじゅんしててんず。微渧先みたいまちてもっ欲塵よくじんひたし、涅槃ねはんもんひら解脱げだつかぜあお いで、悩熱のうねつのぞほう清涼しょうりょういたす。つぎ甚深じんじん十二因縁じゅうにいんねんらして、 もっ無明むみょうろうびょう死等しとう猛盛熾然みょうじょうしねんなる苦聚くじゅ日光にっこうそそぎ、しこうして すなわおおい
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越三界菩薩 おっさんがいぼさつ ・ 毘摩跋羅菩薩びまばつらぼさつ・ 香象菩薩こうぞうぼさつ・ 大香象菩薩だいこうぞうぼさつ・ 師子吼王菩薩ししくおうぼさつ・ 師子遊戯世菩薩ししゆけせぼさつ・ 師子奮迅菩薩ししふんじんぼさつ・ 師子精進菩薩しししょうじんぼさつ・ 勇鋭力菩薩ゆえいりきぼさつ・ 師子威猛伏菩薩ししいみょうぶくぼさつ・ 荘厳菩薩しょうごんぼさつ・ 大荘厳菩薩だいしょうごんぼさつ。この ような悟りを求める修行者や大乘を求める修行者が八人万いた。この諸の悟りを求める修行者 は、みな仏法そのものを身とする偉大な悟りを求める心を起こした者とならないことはない。過 ちを防ぐために守らなければならない禁制、精神を集中して心を乱さないこと、物事をよく見極 め道理を正しく把握する精神作用、完全な精神的自由を得ること、解脱に対する正しい認識を成 就する者たちだ。その心は無我で生死を超越した悟りの境地に入り、常に精神を集中させ乱さな い状態にあって、穏やかで淡白であり無為無欲です。正しい理に反し乱れた思いの入る隙がない 。静寂に清く澄み心は奥深く無限であった。このような状態を保ち続け動じないこと億百千劫。 無量の仏の教えは全て今この前にあった。物事をありのままに把握し真理を見極める偉大な認識 力を得て諸々の教えに滞りなく通じ、存在するものの本性とその様相を理解し悟り、諸々の事理 を思量し識別すると、存在するものと存在しないもの、存在の長短は明らかなのです。また、よ く人々のいろいろな性格や欲望を知り、不思議な力をもつ呪文やどの様な煩い悩みもさまたげら れない弁才を用いて、諸仏の説く教えによく従い教えを説くのです。先ず、僅かな水滴が落ちて 欲望の塵を流し落とし、煩悩の火が消された安らぎ境地への門を開き苦しみから解き放たれる風 を扇いで、世の中の悩みの熱を冷まし、教えの清らかですがすがしい境地へ至るのです。つぎに 非常に深い十二の因縁の教えを雨のように降らし、それを以って無知、老化、病気、死などの勢 い盛んな激しい苦悩の日の光にそそぎ、
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じょう大乗だいじょうそそいで、 衆生しゅじょう諸有しょう善根ぜんごん潤漬にんしし、 ぜん種子しゅじいて くどくでんへんじ、あまね一切いっさいをして 菩提ぼだいおこさしむ。 智慧ちえ日月にちがつ方便ほうべん時節じせつだい じょう事業じぎょう扶蔬増長ふそじょうちょうして、 しゅをして 阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいじょうじ、常住じょうじゅう快楽けらく微妙眞實みみょうしんじつに、 無量むりょう大悲だいひ衆生しゅじょうすくわしむ。 もろもろ衆生しゅじょうしん 善知識ぜんちしき/rt>もろもろ衆生しゅじょう大良福田だいろうふくでんもろもろ衆生しゅじょうしょうせざるの もろもろ衆生しゅじょう安穏あんのん楽處らくしょ救處くしょ護處ごしょ大依止處だいえししょなり。 處處しょしょ衆生しゅじょうため大良導師だいろうどうし大導師だいどうしる。 衆生しゅじょうめしいたるが ためには しか眼目げんもくりょうの者には ぜつし、諸根毀缺しょこんきけつせるをば 具足ぐそくせしめ、顛狂てんのう荒亂こうらんなるには 大正念だいしょうねんさしむ。 船師せんし大船師だいせんしなり、 群生ぐんじょう運載うんさいし、生死しょうじかわわたして 涅槃ねはんきしく。醫王いおう大醫王だいいおうなり、 病相びょうそう分別ふんべつ藥性やくしょう曉了ぎょうりょうして、 やまいしたがって くすりさずけ、 しゅをして くすりふくせしむ。 調御じょうご大調御だいじょうごなり、もろもろ放逸ほういつぎょうなし。 なお象馬師ぞうめし調ととのうるに調ととのわざることなく、 師子しし勇猛ゆうみょう
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こうして共にこの上ない衆生の平等な救済と成仏を説く大乗経の教えを注ぎ込み、 人々がそれぞれ持っている善い報いを招くもとになる行為を潤し、善の種を蒔いて現世や来世に幸福をもたらすもとになるよい報いの田を隅々まで広げ、 全ての人々に無上の悟りの知恵の芽を出させるのです。 物事をありのままに把握し真理を見極める認識力は日月の光のように全てを照らし、人々を教え導き悟りに近づけるための巧みな方法は四季のように移り変わり、苦の中にある人々を平等に救う事業を増長して、 人々に遍く一切の真理をあまねく知った最上の智慧を成就させ、 永遠の安らぎと複雑で難解な真実によって、無量の大きな慈悲が、苦悩に満ちた生命のあるものすべてを救うでしょう。 これは諸々の生命のあるものすべてにとって、真に人々を仏の道へ誘い導く者であり、これは諸々の生命のあるものにとって、田が実りを生じるように、福徳を生じるもとになるものであり、 これは諸菩薩が生命のあるものすべてにとって、求められる師であり、これは諸菩薩が生命のあるものすべてにとって、安穏を願う場所、救われる場所、守られる場所、また大きなよりどころなのです。 このために諸菩薩は生命のあるものすべてのために、仏の教えを説いて人々を仏道に入らせる師、仏道への大いなる指導者となるのです。 人々の中に盲目の者がいるならば目を作り、耳が聞こえない者、鼻が利かないもの、味覚がない者には耳、鼻、舌を作り、 目耳鼻舌肌意の六根がかけているものにはそれを補わせ、気の狂った者には物事の本質をあるがままに心にとどめ、常に真理を求める心を忘れさせないようにするのです。 諸菩薩は偉大なる船長なのです。 たくさんの生きるものを載せて運び、生死の大河を渡して煩悩の火が消された安らぎの向こう岸へ渡すのです。 諸菩薩は偉大な医者なのです。病気を診断して薬の性質を理解し、病気に応じて薬を与え、人々に薬を服用させるのです。 諸菩薩は偉大な調教師なのです。節度をわきまえない振舞いをさせず。 しかも狂象や暴れ馬のような煩悩に乱される心身を調え制御するための知恵を授ける師の良い教え方には教えられない者は無く、 堂々と説法する様子はまるで獅子の勇猛な姿のようであり、
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なる、 衆獣しゅじゅうふくして沮壌そえすべきことかたきがごとし。 菩薩ぼさつ諸波羅蜜しょはらみつ遊戯ゆけし、 如来にょらいおい堅固けんごにしてどうぜず。 願力がんりき安住あんじゅうして ひろ佛國ぶっこくきよめ、 ひさしからずして 阿耨多羅三藐三菩提あのくたらみゃくぼだいじょうずることをべし。 もろもろ菩薩摩訶薩ぼさつまかさつ皆斯みなかくごと不思議ふしぎとくあり。その 比丘びく大智舍利弗だいちしゃりほつ神通目連じんづうもっけんれん慧命須菩提えみょうしゅぼだい摩訶迦旋延まかかせんねん彌多羅尼子富樓那みたらにしふるな阿若陳如あにゃきょうぢんにょ天眼阿那律てんげんあなりつ持律優婆離じりつうばり侍者阿難じしゃあなん佛子羅雲ぶっしらうん優波難佗うばなんだ離波多りはた劫賓那こうひんな薄拘羅はくら阿周陀あしゅうだ莎伽陀しゃかだ頭陀大迦葉ずだだいかしょう優樓頻螺迦葉うるびんらかしょう伽耶迦葉がやかしょう那提迦葉なだいかしょうという。 かくごと比丘萬二千人びくまんにせんにんあり。 皆阿羅漢みなあらかんにして、 もろもろ結漏けつろくして 復縛著またばくじゃくなく、眞正解脱しんしょうげだつなり。 とき大荘嚴菩薩摩訶薩だいしょうごんぼさつまかさつあまねしゅして各定意おのおのじょういなるを かんおわって、 衆中しゅちゅう八萬はちまん菩薩摩訶薩ぼさつまかさつともに、 より しかって 佛所ぶっしょ来詣らいけいし、 頭面ずめんみあしらいめぐること百千帀ひゃくせんそうして、 天華てんげ天香てんこう焼散しょうさんし、 天衣てんね天瓔珞てんようらく天無價寶珠てんむげほうじゅ上空じょうくうなかより 旋轉せんでんして 来下らいげし、 四面しめんくものごとく あつま
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その威厳は多くの獣をひれ伏させて教えを阻ばませない。 悟りを求める修行者は諸々の迷いの世界から悟りの世界へ至る修行を自由自在に行い、如来の位において堅固であって動ずることはない、 誓願の力に留まって、広く仏の国を清め、遠くない未来において一切の真理をあまねく知った最上の智慧を成就するでしょう。 この諸々の悟りを求める修行者や大乘を求める修行者は、皆このような通念では理解できない徳が備わっているのです。 その出家男子の名を、知恵の舎利弗、神通力の目連、解空の須菩提、論議の摩訶迦旃延、説法の彌多羅尼子、 富樓那、阿若憍陳如、天眼の阿那律、持戒の優婆離、多聞の阿難、密行の羅雲、優波難佗、離波多、 劫賓那、薄拘羅、阿周陀、莎迦陀、頭陀大迦葉、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉という。 このような出家男子が一万二千人いました。 みな阿羅漢で、煩悩によって生死に結縛されることはなく、縛るものも執着もなく、まさしく解脱しているのです。 そのときに大荘厳菩薩摩訶薩たちは、全ての人々が座って各々落ち着いているのを観察し終わって、 人々の中の八万の覚りを求める修行者と大乘を求める修行者とともに、座よりたって仏の所へ参り、仏の足に礼をし、巡ること千数百回、 天の花を散じ、天の香をたき,天の衣、天の飾り、天の価値の高い宝石が空の上から旋回して落ちて、一面に雲のように集まって
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しかほとけたてまつつる。 天厨てんちゅう天鉢器てんばっき天百味てんひゃくみ 充満盈溢じゅうまんよういつせる、 しき見香みこうぐに 自然じねん飽足ほうそくす。 天幢てんどう天旛てんばん天軒蓋てんこんがい天妙樂具處處てんみょうらくぐしょしょ安置あんちし、 てん伎樂ぎがくして ほとけ娯楽ごらくせしめたてまつり、 すなわすすんで 胡跪こき合掌がっしょうし、一 しん倶共ともこえおなじうして、 いて めて もうさくおおいなる 哉大悟大聖主かなだいごだいしょうしゅ  なく ぜんなく 所著しょじゃくなし 天・人・象・馬の調御師 道風てん にん ぞう  め じょうごし  どうふうとく 香一切こういっさいくん智恬ち しずかに 情泊じょうしずかに 慮凝静りょぎょうじょうなり めっ識亡しきもうして 心亦寂こころまたじゃくなり なが夢妄むもう思想念しそうねんだんじて 復諸大陰人界またしょだいおんにゅうかいなし あら亦無またむあらず  いんあらえんあら自他じたあらず  ほうあらえんあら短長たんちょうあらず  しゅつあらもつあら生滅しょうめつあらず  ぞうあらあら為作いさあらず  あらあら行住ぎょうじゅうあらず  どうあらてnあら閑静げんじょうあらず  しんあら退たいあら安危あんきあらず  あらあら得失とくしつあらず  あらあら去来こらいあらず  しょうあらおうあら赤白しゃくびゃくあらず  あら紫種種ししゅじゅしきあらず  あらあらかいじょう
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仏に献上されたのです。 天の食べ物が鉢に百の味を満たし満ち溢れた、その色を見て香りをかぐだけで満足したのです。 天の鐘、天の旗、天ののぼり旗、天の楽器がそこここに置かれ、 天の音楽を奏で仏を楽しませ、それから前へすすみ座禅を組み合掌し、 心を一心にして声をそろえて、詩を説いて大荘厳菩薩は仏を讃えて言った。 偉大な大悟大聖主 心に汚れ穢れ執着がなく 天人、人、狂象や暴れ馬のような煩悩を調え制御するための知恵を授ける師 教えの風と徳の香りが全てに薫り 仏の知恵をいやし、感情を静かにし、おもんばかりや疑いの心を静かに滅して 眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識の六識を無くし 心を静寂にし 長い間夢や妄想を断じて、この世に存在する有形や無形の一切のものの成り立ちを分析的に詳しく考察することをしない。 その仏身の存在は、有でなく、また無でなく、 因でなく、縁でなく、自他でなく、 方でなく、円でなく、短長でなく、 出でなく、没でなく、生滅でなく、 造でなく、起でなく、為作でなく、 坐でなく、臥でなく、行住でなく、 動でなく、転でなく、閑静でなく、 進でなく、退でなく、安危でなく、 是でなく、非でなく、得失でなく、 彼でなく、此でなく、去来でなく、 青でなく、黄でなく、赤白でなく、 紅でなく、紫種種の色でない。 仏心は持戒、禅定、智慧、解、事物に対する
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知見ちけんよりしょう三昧さんまい六通ろくつう道品どうぼんより ほっ慈悲じひ十力じゅうりき無畏むいより おこ衆生善業しゅじょうぜんごう因縁いんねんより でたり しめして 丈六紫金じょうろくしこんひかり方整照曜ほうしょうしょうようとして はなは明徹みょうてつなり 豪相月ごうそうつきのごとく めぐうなじひかりあり 旋髪紺青せんばつこんじょうにして いただき肉髻にっけあり 浄眼明鏡じょうげんみょうきょうのごとく 上下じょうげまじろ眉紺舒みしょうこんじょにして ただしき 口頬くきょうなり 唇舌赤好しんぜつしゃっこうにして 丹華たんげ若くごとく  白歯びゃくしの四十なる 珂雪かせつのごとし  額廣ひたいひろ鼻修はななが面門開めんもんひらけ  むね萬字まんじひょうして 獅子ししむねなり  手足柔しゅそくにゅうなんにして 千輻せんぷくそな腋掌合縵やくしょうごうまんあって 内外ないげにぎれり  臂修肘長ひしゅちゅうちょうにして 指直ゆびなおほそし  皮膚ひふ さいなんにして 毛右け みぎめぐれり  踝膝露現かしつろげん陰馬蔵おんめぞうにして  細筋骨鹿脹さいこんさこつろくせんちょうなり 表裏映徹ひょうりようてつきよくして あかなし  濁水じょくすいむるなく ちりけず  かくごと相三十二そうさんじゅうにあり  八十種好はちじゅうしゅごう るべきに たり  じつには 相非相そうひそうしきなし 一切いっさい有相眼うそうまなこ対絶たいぜつせり  無相むそうそうにして 有相うそうなり  衆生身相しゅじょうしんそうそう亦然またしかなり  衆生しゅじょうをして 歓喜かんぎらいして  こころとううやまいひょうして慇懃おんごん
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正しい認識などの行いをすることによって生じ、 精神を集中させ乱さない三昧と、自在に移動できる力、透視する力、普通の人の聞こえない音を聞く、他人の考えを知る、自他の過去世のすがたを知る、煩悩を取り去る力の六通と修行の方法より発し、 慈悲と処非処智力、業異熟智力、静慮解脱等持等至智力、根上下智力、種々勝解智力、種々界智力、遍趣行智力、宿住随念智力、死生智力、漏尽智力の十力、無畏などの智慧行より起こり、 人々の良い行いの因縁により生まれ出るのです。 六丈(4.8m)の紫金色の輝きを放ち まっすぐに立ってあたりを照らし出し 眉間にある白いものは月の満ち欠けするように旋回し、首の後ろは日の光のように輝いている 髪は螺旋を描いて紺青色であり頭のてっぺんはこぶのように盛り上がった形になり 澄んだ目は鏡のように上下にまばたき 眉とまつげは紺色で形の整った口と頬 唇は赤く牡丹の花のようで 歯は白く雪のようである 額は広く鼻は長く 胸にはたくさんの文字が現れ獅子の胸のようであり 手足は柔軟で掌や足の裏に千輻輪の模様があり 脇と掌は肉付きがよくし内外に握り ひじと腕が長く手の指は細く長く伸びやかで 皮膚はきめ細かく柔らかで生えている毛は右回りにぐるっと生えている 踝と膝に露のような艶があり、男根が体内に密蔵される 筋肉が細く鎖骨が鹿のようである 透き通るように清浄で垢がない 汚い水も肌を染めることがなく塵も付かない このような相が三十二あり 八十の特徴があります しかも実際には姿や自然の姿の実体をもたず 全てのありのままの姿は目で見ることはできず 定まった形のない姿であり姿のある体である人々の体の姿もまたこれと同じです 人々に喜ばれ礼を尽くされ 心を思いやり敬いを表わし
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ることを じょうぜしむ  自高我慢じこうがまんのぞこるに って  かくごと妙色みょうしき妙色みょうしき成就じょうじゅしたまえり  今我等八萬いまわれらはちまんしゅう とも皆稽首みなけいしゅして ことごとく  思想心意しそうしんい しきめっしたまえる  象馬調御ぞうめじょうご  無著むじゃくしょう帰命きめいしたてまつる  稽首けいしゅして 法色身ほうしきしん  かいじょう知見聚ちけんじゅ帰依きえしたてまつる  稽首けいしゅして 妙種相みょうしゅそう帰依きえしたてまつる  稽首けいしゅして 難思儀なんしぎ帰依きえしたてまつる  梵音雷震ぼんのんらいしんのごとく ひびき 八種はっしあり  微妙清浄みみょうしょうじょうにして はなは深遠じんのんなり  四諦したい六度ろくど十二縁じゅうにえん  衆生しゅじょう心業しんごう隨順ずいじゅんして てんじたもう  くことあるは意開こころひらけて  無量生死むりょうしょうじ衆結しゅけつだんぜざることなし  くことあるは あるい須陀しゅだおん  斯陀しだ阿那あな阿羅漢あらかん  無漏無為むろむい縁覚處えんがくしょ  無生無滅むしょうむめつ菩薩地ぼさつぢ あるい無量むりょう陀羅尼だらに  無礙むげ樂説大辯才ぎょうせつだいべんさい甚深微妙じんじんみみょう演説えんぜつし  遊戯ゆけして ほう清渠しょうこ澡浴そうよくし  あるいおど飛騰ひとうして 神足じんそくげんじ  水火すいか出没しゅつもつして 身自由みじゆうなり  如来にょらい法輪相是ほうりんそうかくごと清浄無変しょうじょうむへんにして 思議しぎがたし  我等咸われらことごと復共またとも稽首けいしゅして  法輪轉ほうりんてん
【ページ7】
礼儀正しく丁寧に接せられるのです 自分を高くしてそれを自慢することをせずこのような秀でた容姿になられたのです。 今私たち八万の人々は 共にみな頭を深くたれて地に付け礼をして 心の中の思いや意識を無くして 煩悩の作用で乱される身心を調え制御するための智慧を授けることが出来る師に心から教えを信じ従い奉ります 頭を深くたれて地に付け礼をして仏法、その容姿、戒律、禅定、解脱、事物に対する正しい認識の教えを心から信じ従います。 頭を深くたれて地に付け礼をして妙法、教えからいただける仏となる種、この世のあらゆる現象、あらゆる存在の奥にある根源的な実在、すなわち、すべてのものを存在させ、動かしている、ただ一つの法の教えを心から信じ従います 頭を深くたれて地に付け礼をして言葉ではとても言い表すことのできない仏法の教えを心から信じ従います 清らかな音声が雷震のように響いた、誰でも好きになる教え、柔軟な教え、誰の心にも調和し適合する教え、尊い智慧の教え、男女の区別なく誰でも実行できる教え、 間違いの無い教え、奥深い教え、尽きることのない不滅の教えの八種の徳を発した はっきりととらえられないほど細かく清らかで非常に深遠である 苦、集、滅、道、の四つの真理と、施し、戒め、耐え忍ぶこと、はげみ、落ち着き、知恵の六度と、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、 老死の十二因縁は 人々の心や身・口・意によって行われる善悪の行為に従って教えを説かれた。 もしも、その声を聞くものがあるならば心が開けて 永遠に続いている誕生や死を繰り返す人々の魂の迷いやとらわれを断ち切ってしまうことができます もしも、その声を聞くものがあるならば あるいは須陀おん、斯陀、阿那、阿羅漢たちのように すべての迷いを残らず離れ去りさまざまな事象を縁として、自らの力で一分の悟りを得た者や  真の永遠、 絶対の生命は生と死の対立を超越した無生無滅ないし生死不二のところにあるとする菩薩の心境を得ることができるのです あるいは計り知れない一切の功徳を総て持つという真言である陀羅尼や 滞りなく流れてさわりのない説法をするための才能を得て 非常に深くはっきりととらえられないほど細かく、複雑で難しい仏や菩薩の徳を称える詩を演説し 修行を自由自在に行って教えの清らかな水路の中で洗い清め あるいは躍り飛び上がり素晴らしい早さでどんな所でも行ける能力を現し 水や火に出入りしても体は自由である 如来の手足にある法輪の相はこの様である 清く澄み切っていて無限で数限りがなく考えて理解することは難しい 私たちは全てまた共に頭を深くたれて地に付け礼をして 仏法を説かれたときに
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たもうに ときもってするに帰命きみょうしたてまつる  稽首けいしゅして 梵音聲ぼんのんじょう帰依きえしたてまつる  稽首けいしゅして えんたい帰依きえしたてまつる  世尊往昔せそんおうじゃく無量劫むりょうこう勤苦ねんごろもろもろ徳行とくぎょう修習しゅしゅうして  我人われにんでん龍神王りゅうじんのうためにし  あまね一切いっさいもろもろ衆生しゅじょうおよぼしたまえり  一切いっさいもろもろがたき  財寶妻子ざいほうさいし およ國城こくじょうてて  ほう内外ないげおいおしところなく  頭目髓脳悉ずもくずいのうことごとひとほどこせり  諸佛しょぶつ清淨しょうじょうきん奉持ぶじして  乃至命ないしいのちうしなえども 毀傷きしょうしたまわず  人刀杖ひととうじょうをもって きたって がいくわえ  悪口罵辱あっくめにくすれども ついいかりたまわず  こうくだけども 倦惰けんだしたまわず  昼夜ちゅうや こころおさめて つねぜんにあり  あまね一切さいもろもろ道法どうほうがくして  智慧深ちえふか衆生しゅじょうこんりたまえり  ゆえに  今自在いまじざいちからて  ほうおい自在じざいにして 法王ほうおうりたまえり  我復咸われまたことごと共倶とも稽首けいしゅして  もろもろつとがたきを つとめたまえるに 帰依きえ したてまつる 
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その教えを心から信じ従います 頭を深くたれて地に付け礼をして清らかな仏の声の教えを心から信じ従います 頭を深くたれて地に付け礼をしてすべてのものは縁に因って生じ、縁に因って滅びるという教え、人生は苦であるという真理と、その苦の原因は人間の執着にあるという真理と、 この苦を滅した境地が悟りであるという真理と、その悟りに到達する方法は八正道であるという四つの真理、多くの善の中から仏が薦められた六つの善の教えを心から信じ従います 世尊がはるか過去の前世において 勤勉に苦しみに耐えて多くの徳行を修め 私や人、天人、龍神、王のために尽くされ ありとあらゆる人々に尽くしたのです 全て諸々の人々の捨てることのできない 財宝や妻子や国城を捨てて 仏教の側からみて教えの内や外に於いて仏法にそむくことなく 自らの頭や目や骨髄や脳などの身体を全て人のために尽くしたのです 諸々の仏を清浄に保つために禁じられていることを守り あるいは命を失ったとしても壊したり傷つけたりせず もしも、人が刀や杖を持ってきて害を加え 罵り辱めたとしても怒ることはなく きわめて長い時間坐禅をしていても集中を欠くことがなく 昼も夜も心を一定に保って常に精神統一を保ち 全てにわたっていろいろな仏道や仏法を学び 知恵が深く人々の生命活動や感覚の原動力に入って見てこられた このために今自由自在の力を得て 仏法において自由自在であり教えの王となられたのです 私はまた全て共に頭を深くたれて地に付け礼をして、巧みに諸々の困難な修行を成し遂げられたことに心から信じ従います。